サルにまつわる話

saru20052005-02-03

○「さる」は、十二支の九番目の干支。
○申角は、西から南へ30度の方位。
○申時は、午後4時ごろ。または、午後3時〜5時ごろの間。
○「さる」とは、サル目(霊長類)のヒト以外の哺乳類動物類の総称。あと足で立ったり、前足で物を握ったりすることができる。「サル」と呼ばれるものに、次のようなものがある。
○雨戸の桟に取り付けた戸締り道具。(戸締りのため、戸のかまち框に取り付け、柱や敷居につきさして、締りとする=堅猿、横猿、送猿とも)
○じざい自在かぎ鉤を上げて止めておく用具。(自在鉤を吊るす竹にとりつけて、鉤を望むままの高さに留めておく具)
○小紙片の四隅を折り返して、くく括り猿のような形をつくり、その中央に穴をあけ、揚げた凧の糸に通して、凧の糸目のところまで上りいかせる装置の玩具。
○みかんの実の袋を髪の毛で括って猿の形をこしらえる遊び。
○江戸時代のゆな湯女(現在の風俗店で働く女性)の異称。浴客の垢を掻くのを、猿がよくものを掻くのにたとえたものか。
○岡っ引の異称。今は警察、警察官、刑事を「犬」というのはなぜか?
○猿楽(申楽とも)は、平安時代の芸能。滑稽な物真似や言葉芸。鎌倉時代には、それが発展的に「能・狂言」の源流ともなる。「猿楽師」は、猿楽の演者。「猿楽座」は、猿楽師が結成した一座。寺社に属していた。「猿楽法師」は、猿楽に従事する僧(または芸人)。
○猿懸(さるがけ)は、肩車のこと。
○猿賢し(さるがしこし)は、悪賢いの意。
○猿蟹合戦(さるかにがっせん)は、日本昔話の一つ。
○猿神(さるがみ)は、山王日吉神社の使いとして、猿をまつるもの。山の神。
○猿木(あるぎ)は、厩(うまや)で馬を繋ぐ木。猿を厩の神とした。
○猿轡(さるぐつわ)は、声を立てさせないために、口にかませて高等部にくくりつけるもの。
○猿隈(さるぐま)は、歌舞伎の隈取の一つ。「曽我対面」の朝比奈が用いる。
○猿毛(さるげ)は、馬の毛色で、ねずみ色。
○猿酒(さるざけ)は、猿が貯えておいたものが自然に醗酵してできた酒。「ましらざけ」とも。
○猿沢の池は、奈良・興福寺南門の前にある池。「手を打てば、下女は茶を汲み、鳥は飛び、魚寄り来る猿沢の池」
○猿芝居は、下手な芝居、すぐにタネの分かる、浅はかな企みの意。
さるすべり百日紅)は、みそはぎ科の落葉樹。幹は滑らかで艶がある。猿も滑って登れないという意の名。
猿田彦(さるたひこ)は、神話の「天孫降臨」のとき、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の先導をした神で、一般に道の神・道祖神(どうそしん)と考えられ、また、後に修験道が盛んになりますと、天狗(てんぐ)の神ともみなされている。
○猿知恵(さるぢえ)は、一見、気が利いているようで、実際は間抜けな考え。しかし、チンパンジーの研究などをみると、驚くべき「知恵」に驚かされる。
○猿戸(さるど)は、庭の入り口にある簡易な木戸。
○猿飛佐助(さるとびさすけ)は、戦国時代の忍術家。真田十勇士の一人とされるが、実在は不明。
○猿似(さるに)は、血縁のない人の容姿が互いに似かよっていること。空似(そらに)とも。
○猿に烏帽子(えぼし)は、その人柄に相応しくない服装や言動をいう。
○猿の生肝(いきぎも)は、寓話性童話の一。治病の妙薬である猿の生肝を、竜王に取りにいかされた海月(くらげ)が、なんとか猿を騙して連れ出す途中、つい目的をしゃべってしまい、猿に肝を忘れたきたと騙されて逃げられてしまい。その罪を責められ、打たれたため骨が砕けてしまい、くらげは骨なしになったというお話。
サルノコシカケは、菌類、きのこの一種。枯れ木の樹幹に半月形またはいぼ状に寄生し、腰掛のように見える。漢方薬に用いる。
○猿の尻笑いは、猿が自分の尻の赤いことに気づかないように、自分の欠点を省みず他人のことをあげつらうこと。
○猿も木から落ちるは、名人でも失敗することがあるから、油断や驕りを戒める諺。「弘法も筆の誤り」「釈迦も経の読み違え」「才人は才に溺れる」「上手の手から水が漏れる」「河童の川流れ」などがある。
○猿の水練(すいれん)、魚の木登りは、あり得ないことのたとえ。実際には猿は水泳も潜水も得意である。魚のなかにも「木登り魚」がある。だから、これは人間の二重の間違いといえる。
○三本足りない毛は、猿よりヒトが優れていることをいう。孫悟空が毛を三本抜いて分身したから、というまことしやかなことが言われている。
○猿幟(さるのぼり)は、括り猿(くくりざる)をつけた幟。
○猿袴(さるばかま)は、労働用の袴の一種。上部をゆるく、下部をつめてある。
○猿曳き(さるひき)は、猿回しのこと。猿に芸をさせ、それを見せて金銭を貰う人。
○猿頬(さるぼお)は、猿は食べ物を頬のうちに詰め込んで貯える。頬袋(ほおぶくろ)。
○猿舞腰(さるまいごし)は、猿が踊るような腰つき。へっぴり腰とも。
○猿股(さるまた)は、男が用いる、肌着用の短いももひき。
○猿松(さるまつ)は、猿をののしっていう語。腕白小僧。悪賢い子ども。狡猾で多弁な者。
○猿眼(さるまなこ)は、猿のように大きく窪んだ眼。
○猿真似(さるまね)は、よく考えもせず、やたら人の真似をしたり、本質をつかまず、うわべだけを真似ること。猿にとっては「真似る」ことは学習であり、大事な能力である。人間社会では、この言葉は侮蔑、軽蔑の意味を持っている。
猿若座(さるわかざ)は、猿若流江戸歌舞伎の始祖、猿若勘三郎寛永元年(1624)創建。後刻、勘三郎の本名(中村)をとって、中村座と改称。彼は奴荒事・奴丹前・朝比奈の元祖ともいわれる。
猿若町は、東京都台東区の旧町名。江戸三座があった。
○三猿(さんえん)は、「見ざる・聞かざる・言わざる」の意。四猿(よんざる)は、三猿プラス一。下腹部に手を当てている猿、「せざる」と禁欲を表している。ついでに、五猿(ござる)は、「ごえん」とも読み、ご縁の意。「ござる」と読んで、お客がござるで商売繁盛を表す。
○猿と犬は、仲の悪い同士のこと。犬猿(けんえん)の仲。
○意馬心猿(いばしんえん)は、妄念や煩悩(ぼんのう)が激しく、心の乱れが抑えられないのを、奔馬野猿が騒ぐのを抑えがたいさまにたとえた仏教語。
○靱猿(うつぼざる)は、狂言の一。大名が、猿曳(さるひき)の連れている猿の皮を靫(うつぼ)にしたいと所望するが、猿のいじらしさに心をうたれてあきらめる。猿曳はその返礼に猿を舞わす。歌舞伎舞踊の一。常磐津。本名題「花舞台霞の猿曳」。二世中村重助作。1838年初演。
○猿公(えてこう)は、えて(猿)を擬人化していう語。「えてきち」とも。
猿猴杉(えんこうすぎ)は、スギ科スギ属の園芸種、枝に短い葉だけつけるところと、長い葉だけつけるところが、テナガザルに似ているところから猿猴杉の名がある。
猿猴草(えんこうそう)は、山地の湿地に生える多年草です。名前は,長く這う茎の様子をテナガザルの手足になぞらえたもの。
猿猴捉月(えんこうそくげつ)は、猿が水に映った月をとろうとしておぼれ死んだという故事から、身の程をわきまえずに無理なことを望むと災いをうけることのたとえ。
○猿臂(えんぴ)は、猿の肘(ひじ)のような長い肘。
○瓦猿(かわらざる)は、土焼の猿の像。「変わらざる」の意にとって、無事平安を祝うものとされた。
○嬉々猿(ききざる)は、大阪府堺市で作られる土人形。手捻りの猿を組み合わせたもの。
○狭鼻猿類(きょうびえんるい)は、サル目オナガザル科の遠類。
○括り猿(くくりざる)は、布に綿を入れて作った猿の縫ぐるみ。庚申様に祀る。
○こけ猿は、群猿から追い出されて、ひとりになった猿。垢まみれの猿。痩せこけた猿。
○鹿猿(しかざる)は、広島県宮島の郷土玩具。鹿の上に猿が乗っている。
猩猩(しょうじょう)は、中国の想像上の動物。酒をよく飲む。オランウータンのことか。
○髀(しりだこ)は、猿の尻の、皮が厚くて毛のない部分。
○朝三暮四(ちょうさんぼし)は、猿回しが手飼いの猿に餌(木の実)を与えるのに、朝三つ暮れに四つとしたところ、少ないと猿が起こったので、朝四つ暮れに三つとしたら猿はよろこんだという故事から、表面的な違いにだけとらわれて、結局は同じであることに気が付かないこと。
ましらは、猿のこと。「まし」とも。
野猿(やえん)は、野生の猿。狩人は猿が「去る」に通じるとして忌んで「野猿」という。
○類人猿(るいじんえん)は、最も高等な遠類。チンパンジー、ゴリラなど。

猿は神様か
 ネパールのヒンヅー教のお寺には、多くの猿がいる。近ごろ、あちこちで日本猿がいたずらをして困るという話しをきくが、ネパールの猿は、人に対していたずらをしたりはしない。それどころか現地の人は「猿=神の使い」と位置づけて大切にしている。
 また、本来は中国・インドあたりから伝わった信仰だと思うが、日本でも「庚申まさ」として各地に祀られている。柴又帝釈天(題経寺)において、所在不明であった日蓮聖人の親刻になる帝釈天の板本尊が、200 年前の本堂修理の際に棟上から発見された。本尊が出現したその日が安永 8 年庚申の日であったため、「庚申」を縁日と定めたという。庚申信仰は中国の道教(どうきょう)の思想から端を発し、奈良時代にわが国に伝来、日本の固有の信仰と結びついたといわれている。
 人の体の中に「三尸」(さんし)という虫がいて、60日ごとに巡ってくる庚申(かのえさる)の日に、人々が寝静まった夜、その虫が体内から出てきて、天帝にその人の悪行(あくぎょう)を報告し、怒った天帝は、その人を早死にさせてしまう。だから庚申の日は寝ないで夜通し起きていて、三尸が体内から抜け出さないようにしたという。これを「庚申待」(こうしんまち)とよんだ。この時、共に庚申待を過ごす人たちの集まりを「庚申講」(こうしんこう)という。最初は厳かに過ごすのが慣わしだったが、平安時代ごろから「二ヶ月に一度の楽しい夜通しの宴会の日」となり、娯楽の乏しかった時代に全国に広がっていった。そして、この信仰は、60年に一度巡ってくる庚申の年に「庚申塔」「庚申塚」を建立するのが原則になっていった。今年は60年ぶりの庚申(かのえさる)になる。全国的に大小の庚申様が祀られ、人々は願をかけて、「くくり猿」(布の袋に綿を詰めたお守り)を奉納する。

猿に霊能力があるのか
 人は他の動物と比べて、猿が人に似ているところから、神の使いとして大切にしてきたと同時に、強い霊力をもっていると信じられてきた。猿のお守りも少なくない。「くくり猿」などは、典型的な例である。普通、商人などは「猿」を「去る」と読んで嫌がるが、「くくり猿」は、「苦が去る」としてお守りとしている。
 また、地方によっては、人ばかりでなく、牛馬などを守るとして、厩(うまや)に猿の頭を置く「厩猿」(やまざる)信仰がある。本物の猿の頭や頭蓋骨を使うところから、今では猿の絵を用いることが多い。また地方によっては、猿回しに馬小屋の前で踊ってもらい、厄払いをするところもある。

猿に育てられたヒトの話
 20世紀のはじめ、明治4年(1904)、宮崎県の山中で、生まれたばかりの赤ん坊が猿の群れにさらわれた。およそ10年間、猿に育てられたという。食べ物は猿と同様、アケビ、柿、栗、魚、蛙、蜘蛛、兎の肉を食べたいう。山中で猟師によって発見、救出され、家族のもとにもどり、小学校に入学し、その後、大丸徹という芸名で東映の俳優となった。時代劇で木から木へ飛び移る役をこなしたという。
 猿とヒトとの違いは、当然のことだが、ニホンザルのオスが相手に自分の優位を示す行動に、オスの「きんつかみ」というのがある。オス同士が出会うとき、優位者(猿)が劣位者(猿)の股の間に手を入れて睾丸をつかむという行動をする。人間の世界では決してやらない行動である。
プロ野球の往年の名監督、南海ホークス山本一人氏は、新人採用のとき、いきなり男根を掴むという伝説が残っている。それで、この選手が将来有望かどうかを見定めたという話である。猿の「きんつかみ」と通じるものがあって、面白い。

猿を食うヒトの話&ヒトを食った猿の話
 10年ほど前、中国で高級料理として、サルが出された。どこかの国の動物保護団体が知れば、ただでは済むまい。皿に盛られているサルの首は、まさにグロテスクであり、まともには箸を出せるじょうきょうではなかった。中国人の説明は、「サルの脳は、最高のもてなし料理だ」という。得体の知れぬつけ汁につけて食べると絶品だと、盛んに奨められたが、とうとう千載一遇のチャンスを逃してしまった。美食をもって知られる中国では、猿のみならず、狗肉、蛙肉、蛇など、様々なものを食べる。

 また、猿の黒焼きなどという秘薬もある。頭痛薬、強壮剤、万病の薬、長寿の秘薬ともいわれている。日本ばかりでなく、古代メソポタニアの時代に、猿の骨が薬として用いられた記録が残っているとか。東南アジアではテナガザルの脂肪をリューマチの治療薬に、カニタイザルの内臓がマラリアの薬に、アマゾンのインデイオは、ホエザルの喉袋(のどぶくろ)が百日咳の薬にされている。

 一方、「ヒトを食った猿」の話がある。といっても「人食い猿」の話ではない。ヒトは雑食であり、やがて暴飲暴食をし、グルメという名におどろされ、美食に走り、挙句はダイエットをするという、動物のなかで最低の生き物、それがヒトである。猿は菜食主義に近い。すこぶる健康的な食生活を営んでいる。ヒトこそ「猿真似」をしなければならない。ただし、近ごろ、観光地などで、「興味本位で餌づけをした心なきヒト」のために、ニホン猿が、ひったくりをしたり、お土産屋のお菓子をかっぱらったりする被害が出ている。これなどは、ヒトの責任重大である。しかし、正確にいうと、チンパンジーが蟻(あり)を食べたり、昆虫類を食べたりするが、主食はやはり植物性のものである。例外としては、ヒヒはヒトと同じく「雑食性」である。ヒト真似をしたヒヒなのか、ヒヒ真似をしたヒトなのか。
 ところで、「ヒトを食った猿」の話だが、ある動物園で管理事務所に「たいへんだ!猿が柵に首を挟んで抜けなくなっている」との通報があった。飼育員が早速飛んでゆくと、幸いにも首が咲くから抜けて猿は無事だった。ところが、その後、同様の騒ぎが連発した。実は、この猿、わざと首を突っ込み抜けない振りをして、見物客が騒ぐのを楽しんでいたという‥。いかにも「ヒトを食った話」ではないか。
 動物園で人気ナンバーワンは、ゴリラである。ところが、ゴリラは類人猿のなかでも、もっとも頭脳が発達していると言われている。ある日、見物客に若い二人連れがいた。檻のなかのメスのゴリラは、専ら客を相手にしている。オスは後ろの方からこれを眺めていたかと思うと、突如、オスゴリラが檻に体当たりをしてきた。びっくりしたのは見物客のほうである。檻のなかのゴリラは「してやったり」という態度。
 また客をめがけて「糞」(ふん)を投げつけるのもいる。見事なコントロールで、でかい糞を見物客に向けて投げる。動物園では、「注意」の看板は出してあるが、この糞投げには手を焼いているらしい。
 外国の話だが、子どもの客が誤ってゴリラの囲いの中に落ちてしまった。気絶したその子どもを、そっと抱きかかえて助けたのは、一頭のメスゴリラであった。仲間に見つからぬように自分の胸に子どもを抱いて、反対側の通用口まで運んで、飼育係にヒトの子どもを手渡したというのである。これは「ヒトを食った話」ではなく、ヒトを助けた猿の美談である。

 「サルはどこまで人間か」(小学館)がおもしろい。京大霊長類研究所を中心とした公開シンポジュウムの記録である。チンパンジーといえば、まず挙げられるのは、松沢哲郎京都大学霊長類研究所)であろう。「かがくのとも」小学生版(1985年)の「ことばをおぼえたチンパンジー」は、「チンパンジー・アイ」との出会いと研究から生まれた出色の本である。このほか、松沢の「チンパンジーの世界から見た世界」(東大出版会)「チンパンジー・マインド」(岩波書店))など名著が多い。松沢はチンパンジー言語学習の研究をすすめ、ヒトとの異同について検証し、様々な実験を通じて世界的な研究の成果を挙げている。